犬は喜び庭かけまわり猫はこたつで丸くなれ
俺は自己中なんだけどそれを確信したのはついこの間のことで、でもって自己中な人っていうのは自己中にしか生きられないということも確信した。逆に自己中じゃない人が突然自己中に生きようとして自己中な人のまねをしても、自分らしく生きてるなんて感じはしないんじゃないかな。それはだって本来自己中じゃないことが自分らしさってことなんだと思うから。そこにいいわるいのジャッジはいらないと思うし、生まれながらに備わった性質だと思っていいと思うけど、なのに、自己中な人は自己中に生きるのが怖かったり、自己中に生きることに疑問を感じる。自己中じゃない人はたまには私も自己中に生きてみたいなあなんて思ったりするんだと思う。

俺の場合は自分を中心にしか物事を考えられない人だから、でもこう言うと、ふーん人のことはどうでもいいんだ的な印象を与えちゃうかもだけどそういう訳じゃない。自己中な人っていうのは例えば、あの人を中心にして考えてみるとっていうことができない。あの人はあの人のことを好きで、だからあの人からすればあの人のことが邪魔で、だけどあの人はあの人のことを嫌いな訳じゃないだろうし俺のことも多分・・・みたいなことを考える習慣がない、考えられる回路がないっていう。だから、人のことはどうでもいいんだとか人の気持ちがわからないっていうのとはちょっと違うし、自分の利ばかり考えてる人のことじゃないし。

自己中な人はだいたいマンツーマンが好きなんじゃないかと思う。一対一の関係性。広く浅くじゃなくて狭く深くみたいな。キャプテン翼だったら三杉淳じゃなくて早田誠。みんなでラインを上げてオフサイドトラップを仕掛けるより、マンマークで直接ボールを奪いたいタイプ。自己中な人はみんなで合わせてディフェンスラインを上げたり下げたりなんてことは苦手で、反対に自己中じゃない人がカミソリタックルで華麗にボールを奪おうとしたってたいてい上手く行かないんじゃないかな。それができないからって落ち込む必要はないんだって知って、やっと最近そう思えるようになったっていうこと。だけど、できるようになれとか、諦めたらそこで終わりじゃんとか人は言うし、やっぱりそれを聞き入れちゃって落ち込んだりテンションが下がっちゃう。落ち込んだりもがく姿は全然かっこわるくないけど、だからってかっこいいかって考えたらそんなことないし、三杉淳ががむしゃらにボールを追い掛けて取れない取れない言ってる姿や、早田誠がラインを気にしてあたふたしてるところも、微笑ましいけどらしくないし。

雪が降って猫が人目を気にして嫌々庭をかけまわったり、犬が恥ずかしがって家の中で大人しくしてるくらいなら、いっそ早いとこ病気にでもなって、それか骨折でもして、それって自分を粗末にしてたんだなって思えたら、そっちじゃないよって教えてくれた体にごめんなさいとかありがとうとか思えそうだから、その方がいいのかなあなんて考えちゃうけど、俺はなるべく病気も骨折もしたくないし、時間がかかってもそこはソフトランディングで行きたくて、だったら本来の自己中な自分を取り戻すしかない。取り戻すって言うか、自己中な生き方を自分の中で認めてあげるって感じなんだろうと思うけど、そのためには罪悪感を手放さないとだし、できるかなあ。でっきるかなあ。

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