マコちゃん⑨
味噌汁くらいご飯に合うものは他にないと思ってる。豆腐、わかめ、ネギ、里芋、なめこ、そうめん。具材も色々あるから毎日飲んでも飽きることがない。私は味噌汁が好きだ。だけどそれはお味噌が大好きってこととは違うから、目玉焼きやコーヒーにお味噌を溶かしたりなんかしないし、サッポロ一番の中の一番は塩だと思ってる。いや、そんなことはどうでもよくて、とにかくもう忘れるって決めたんだ。そーみー亭のことも。マコちゃんのことも。それから、この街のことも。いつだって、私は私の心に吹く風に吹かれていたいから。グッバイ・ソーミー。グッバイ・マイ・ラブ。
マコちゃん⑧
休日の朝はトーストと目玉焼きで決まり。テレビに映ったパンケーキより、私はこっちの方がずっと好きだ。天気もいいし、久しぶりに広々公園行きたいなあ。

「広々公園かあ。あそこ広々してて気持ちいいんだよな。」

事件から数週間が経ったある日、私たちは揃って釈放された。マコちゃんが当選金をはたいて示談を成立させたからだ。マコちゃん、ごめんね。せっかく当てた宝くじ、ほとんど使わせちゃって。

「いいんだよ、そんなことは。それより、どうしてあんなこと。俺、まだ信じられないよ。お前やお袋が、あんな仁義なき戦いみたいな事件起こしたなんてさ。」

もうしないから。安心して。

「当たり前だろ!シリーズ化だけはやめてくれよ。」

あの日以来、そーみー亭は休業中。マコちゃんもソミってる様子はない。私は日常を取り戻した。こうしてコーヒーを飲みながら、寝ぐせのついたマコちゃんを見てると、同い年なのに年下に見える。そう、この感じ。欲しかったのは前から知ってるこういう時間。もうずっとこのままでいたい。そう願った。マコちゃん?

「なに?」

ありがとう。

「うん。もうわかったから。」

マコちゃんはそう言うと、冷蔵庫に向かって歩き出した。そして、味噌を持って戻って来ると、スプーンですくい、目玉焼きの上にボトッと落とした。

「やっぱ目玉焼きには味噌だよな。コーヒーにも入れちゃお。」

そう言って今度はコーヒーの中にボトッ。いやあぁぁぁぁーーーー!!私は思わず悲鳴を上げた。
マコちゃん⑦
店に着くと、店内はすでに多くの客で賑わってた。今やそーみー亭は繁盛店だ。コツラサービスノ味噌ガムデス。ゴ来店有リ難ウゴザマシタ。キャハハ。何これー。味噌ガムだって。おもしろーい。青春カップルと入れ違い様、自動で開いた扉の先で、ゴリゴリの片言を話す女の店員が待ち構えてた。

「イラシャセ。4名様デスナ。テーブル席デヨロシデスカ。」

3名よ。教祖と話がしたいんだけど。

「キョウソ!?」

いるんでしょ?教祖を出して。早く出しなさい!

「キュウリノコトデスカ?」

とぼけないで!

厨房の方から、全身白尽くめの中年男性がこっちに向かって近づいてきた。どうかなさいましたか。男はひとまず気遣う素振りを見せた後、困った顔で私たちを見回した。その時の一瞬の眼光の鋭さを私は見逃さなかった。私は内心びくびくしながらも、男を睨みつけてこう言い放った。

あなたが教祖ね!?いったいマコちゃんに何をしたッ!?

何を言ってるんだ。この子は。男は怪訝な顔つきで、怒りと恐怖に震える私にこう続けた。他のお客様のご迷惑になります。お帰り下さい。私は声を振り絞る。

ソーミー教はもう終わりよ!こんな店潰れちゃえばいいんだわッ!

男の顔は益々険しく、出て行かないなら警察を呼びますよ。そう言って片言女に指示を出した。見兼ねたマコちゃんママが私を制し男に歩み寄る。そして、突如男に向かって包丁を振りかざした。予想外の出来事に男は尻餅をつき、大声で助けを求めた。その瞬間、店内にいた従業員や客たちが慌て出し、ソーミー亭は騒然。鍋やどんぶりがひっくり返り、床やテーブルは麺やスープでぐっちゃぐちゃ。ただでさえ味噌一色だった店内が、お味噌のお祭り会場と化した。

混乱に乗じて、ノリのドロップキックが炸裂する。サキが出入り口を封鎖する。私は教団の証拠を得るため厨房を目指す。数人の男たちに取り囲まれ、羽交い締めにされるノリ。そこにサキが割って入る。地味で小柄な女子高生に、大の男が次々投げられていく。

激しい揉み合いの中、なんとか厨房まで辿り着いた私は、内部を見渡し、急いで証拠になりそうな物を探す。巨大な冷蔵庫の扉を開けて中を覗くと、食材の他に、大量の味噌が詰まった容器を発見した。この味噌の成分を調べれば何か分かるかもしれない。そう思った私は、容器を小脇に抱えて、立ち上がろうとした。その時だった。駆けつけた警官らによって私たち4人はあえなく逮捕。入店から僅か15分の出来事だった。

店内にあったラジオからは、誰がリクエストしたのか中島みゆきの『世情』が流れる。野良犬でも扱うようにパトカーに押し込められ、ドラマさながらに連行される私たち。沿道では、シュプレヒコールの引き波を見るように、臆病な猫が目を丸くする。髪に絡まったままの麺。パンツにまで染み込んだ味噌の汁。罪を犯したのは私たちってことらしいけど、こっちとしては味噌に犯された気分だった。

「あんたらいったいあの店と何があったって言うんだいええ!?」
「まあそれは署でゆっくり聞かせてもらうとしてだなあ、とにかく車内が味噌まみれだよう!ったくう。」

トラディショナルな警官が怒鳴る。
マコちゃん⑥
マコちゃんママを待つ間、ふたりのこんな会話を耳にした。物怖じしないふたりに感心してた私だったけど、これには感心を通り越して宇宙だった。

「ノリさんってモデルなんですよねー。スゴいなー。」

「モデルって言っても色々あるからねー。私の場合はパーツモデル。パーモよパーモ。」

「パーツモデルって、手とか足とかのアップの写真撮ったりする時のあれですか?」

「そう。そう。そう。そう。私はそのお尻専門。シリモとかケツモとか、聞いたことない?」

「初めて聞きました。」

ノリのお尻は確かに綺麗だけど、今の私はそんなことどうでもよかった。しばらくして、真っ赤な車が1台、駐車場に入って来るのが見えた。運転してるのは金髪にサングラスの日本人女性。助手席には大きなゴリラのぬいぐるみ。間違えようがない。マコちゃんママのお出ましだ。

「ごめんなさいねえ。アイちゃん。遅くなっちゃたあ。」

3年程前になる。急な発熱と嘔吐で倒れたマコちゃんママは、その日から数えて108日間入院した。その時顔中にできた原因不明の斑点が、化粧の下から浮かび上がって見える程、3年経った今もなお、女の顔を邪魔してた。

「おばさん、久しぶり。」
「サキです。よろしくお願いします。」

「マコトの母です。よろしく。」
「はいこれ。さっき買ってきたの。味噌まんじゅう。」

この天然には、さすがの私もどうすることもできなかった。

「和菓子とファンタ意外と合いますよ?」

事もなげに頬張ったあと、持ってたファンタを口にしながら、サキが言った。ほのぼのとしたムードのまま、気付けば空はすっかり暗く、そーみー亭はとっくに営業中。そろそろ行きましょうか。私が言った。普段であれば何でもないその一言に、緊張が走る。
マコちゃん⑤
先に私とノリが到着し、あとのふたりを待っているところに、女の子が恐る恐る声を掛けてきた。嫌な予感がした。

「ノリさんたちですよね?初めまして。」

「そうだけど、あんただあれ?」

「サキです。今日はオフ会に誘って頂きましてありがとうございます。」

「わお。わお。わお。わお。」

ちょっとノリ、これどういうこと?

驚いた。ノリがオフ会と言って騙していたことも。グラップラーサキが高校生だったことも。ノリによれば、年齢は48。アンダーグラウンドな大会で優勝したこともある実力者。友人とその恋人を助けるために、ある教団に闘いを挑むから力になって欲しい。そう説明したところ分かってくれた。私はそう聞いてた。困惑する私たちにサキが言った。

「アイさん。ノリさん。これだけは言っておきますね。サキはまだ高校生かもしれないけど、格闘家なのは本当です。オフ会と言ったのは、サキにとっては殴り込みもオフ会の内だからです。」

「あ〜、そういうことねえ。」

ノリは黙ってて。

「セイ。」

悪いことは言わない。帰りなさい。帰って全部忘れなさい。

「年齢を偽っていたことは謝ります。だけど、今さら帰るなんてできません。ふたりはサキを必要としてくれたじゃないですか。サキにはそれがすごく嬉しかった・・・嬉しかったんです・・・。」

私とノリは互いを探るように目を見合わせ、深く息を吐き、背中を丸めてしゃがみ込むサキに目を落とした。そしたらもう、あとは笑うくらいしかやることが見つからなかった。

よく聞いて。グラップラーサキ!今夜私たちがやろうとしてることはね、遊びでもなければオフ会でもない。戦争と同じ。戦争っていうのはね、余りにも未来がないことをする時に使う言葉よね。それでもついて来たいって言うんなら、1つだけ条件がある。

「何ですか?」

他人のふりをして。偶然同じタイミングで入店した客として振る舞うこと。わかった?

「・・・わかりました。他人のふりします。」

こうして女子高生グラップラーサキが仲間に加わり、当初の計画通りとは行かなくなったものの、それでも4人で乗り込むことに変わりはなかった。日の沈みかけたスーパーの駐車場で、私たちは最後の1人を待った。
マコちゃん④
きっと、私は今、燃えてるんだろう。何度か恐怖が私の体を包み込もうとしたらしいけど、炎は構うことなく燃え続け、私は炎の戦士と化した。とは言え、私ひとりの力でひとつの教団をまるごとぶっ潰すなんてできっこないし、それは余りに無鉄砲。そう思った。だから有志を募った。そして集まったのが私を含めたこの4人。

炎の女戦士アイ。それが私。モデルのノリ。私の友達。それから、グラップラーサキ。ノリのネットの知り合い。そして、マコちゃんママ。マコちゃんのお母さん。

今夜、私たちはそーみー亭に乗り込む。善は急げだがね。子供の頃、よく祖母が言ってた。目的は教団の壊滅ただひとつ。ソーミー教をぶっ潰すため。その決意をそれぞれが胸に秘め、待ち合わせたはずだった。夕闇迫るぼんやり明るい空の下、私たちはそーみー亭に程近いスーパーの駐車場にいた。
マコちゃん③
そーみー亭とあの呪文みたいなやつに因果関係があることはおそらく間違いない。とにかく、このままじゃマコちゃんが危ない。マコちゃんを助けなきゃ。それに、これ以上マコちゃんのような人を増やしちゃいけない。そのためにはそーみー亭をぶっ潰すしかない。でも、それだけじゃ駄目。そーみー亭はただの箱で、問題はその中身だから。あそこには味噌を使って何かを企む者たちがいる。広く調味料として親しまれて、長きに渡り私たちの食文化を支えてきた味噌。彼らはそれをソーミーと呼んで崇拝し、奇妙な言葉を唱えて祈請する。味噌、すなわちソーミーに魅せられ魂を捧げた者たち。私はそれを『ソーミー教』と名付け、その指導者を『教祖』と呼ぶことにした。

父がまだ家に居た頃、いっつも言われてた。早合点するんじゃない。だけど、これは早合点なんかじゃない。現にマコちゃんは今だって、トイレでソーミーソーミーやってる。ソミってる。リビングやベランダも困るけど、トイレにこもられたらやっぱり困るし心配にもなる。

ソミりたいなら誰もいないとこ行ってソミってよ!

そんなふうに言いたくなる時もあるけど、そんなこと言ったらお前が出て行けって言われるか、もし本当に出て行っちゃっても大変だから、私はただ見守ってる。だけど、昨日今日とソミる回数は増えてきてるし、1回1回の時間も長くなった気がする。ソミり過ぎたら手遅れになるかもしれない。ソミってはソミり、ソミってはソミり、次の日も、またその次の日も。そんなことを繰り返してたら、きっと体がソミりを忘れられなくなる。ソミりまくってからじゃ遅いんだ。このままソミらせ続ける訳にはいかない。私はソーミー教をぶっ潰し、マコちゃんを救い出す。そう心に誓った。
マコちゃん②
最近、マコちゃんの様子がおかしい。部屋でテレビを観ていたかと思えば、突然ソーミーソーミー言い出して、それは何か願い事をしてるようにも見えるけど、私には怪しい儀式に思えてとても気味が悪い。心当たりはある。先週の日曜日、私たちは一風変わったお店でご飯を食べた。そのお店の名前が『そーみー亭』だった。できて間もないその店は、メニューの全てが味噌味で、そのユニークさが話題を呼び、この辺りではちょっと知られるようになってた。

必要以上に明るい店内。立ち込める味噌の匂い。至る所にメニューを書いた紙が貼ってあって、否が応でも飛び込んでくる味噌の文字。味噌ラーメン、味噌チャーハン。味噌ギョウザに味噌カレー。味噌焼きそばに味噌スパゲティー。味噌アイス。他にも、これぞ本格派!味噌プリン有ります。売り切れ御免!そーみー君ストラップ。

「へー、徹底してんな。」

ここまで味噌尽くしとはねえ。

私は無難に味噌煮込みうどんにしたけど、マコちゃんは大冒険。その名も、じっくりコトコト煮込んだ味噌。それの特上。何でもそーみー亭の名物だとか。食後にコーヒーを頼んだら、ミルクの代わりに味噌が付いてた。

「いやはや、参りました。」

いやはや、滅入りました。

「っははは。」

マコちゃん、そんなんじゃお腹空いてるでしょ?

「ん?」

だって食べてないんだもん。お味噌とコーヒー飲んだだけじゃない。

「うーん・・・そうだけど。」

帰り道、マコちゃんは寄りたい所があるからと、私ひとりを先に帰した。変だなって思ったけど、マコちゃんのことは信頼してるし、察しの悪い女になるだけだと思い、何も訊かずに先に帰って部屋で待ってた。だけど、あの日を境に、マコちゃんは変わったんだ。
マコちゃん①
「ソーミーソーミールーシーメンラー、ソーミーソーミーミーニコドンウー。」

マコちゃん?

「闇夜に流れて消える星よ。我らを照らせよ。」

マコちゃんってば。

「1度限りの幸運でいい。願わくは1等前後賞合わせて、」

ねえ、何してるの?

「ああもう。うるさいよ。あっち行ってろって。」

マコちゃん・・・。

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