シチューに謝りなさい
2015年10月6日 ラクガキ
昨夜はシチューだった。子供たちにたくさん食べて欲しい。食べるだけの俺も、作った妻も、その気持ちは同じで。最近、娘がテーブルの上にある物をわざと落としてよく怒られる。ご飯だろうとスープだろうとお構いなしだから、昨日はそれがシチューだった。床にぶちまけられたシチュー。怒った妻が、大きな声で娘に言った。
「シチューに謝りなさい」
俺は、その言い方が、なんかすごく好きだった。
「シチューに謝りなさい」
俺は、その言い方が、なんかすごく好きだった。
床に目をやると、ポテトチップスの欠片や、消化器の形をした水鉄砲なんかと一緒に、ひっくり返ったヴォクシー(トヨタ)が目に留まった。直径1センチ程のタイヤが4つ。車体の色は黒。ところどころ塗装がはがれてカミキリムシみたいになってたけど、スライドドアのギミックは壊れてなかった。よし。走れそうだ。平らな場所に車を移し、これに乗って東京駅まで行ってみよう。おもむろにエンジンをかけようとしたその時、突然玄関のドアが開いて、急に部屋の片付けを始めた俺の後ろ姿を、2歳になったばかりの瞳が捉えた。
あの時、仮に、無垢な瞳に映った俺の背中が、まるで何度パンチを浴びても立ち上がるロッキーのような、女の胸を熱くさせるタフガイの背中に見えてたとしたら、俺はその代償として、嫌いな梅干しをひとかじりすることもできるのに。
あの時、仮に、無垢な瞳に映った俺の背中が、まるで何度パンチを浴びても立ち上がるロッキーのような、女の胸を熱くさせるタフガイの背中に見えてたとしたら、俺はその代償として、嫌いな梅干しをひとかじりすることもできるのに。
なかおかちまち!
それは風呂上がり、息子が不意に発した東京メトロの駅名で、俺は御徒町っていう駅があるのは知ってたけど、仲御徒町っていう駅があるのは知らなかったから、きっとそのせいでもあるんだろうけど、仲御徒町っていう響きには、どこで句切って読んでも気持ちがいいっていう、ある種の金太郎飴的要素を持ち合わせてるんじゃないかということに思い至った。
なっかおかちまち、なか・おかちまち、なかお・かちまち、なかおか・ちまち、なかおかち・まち、なかおかちまっち。といった具合に。
東京にはたくさん駅があって、なんとなく響きが好きな駅名って結構あるけど、例えば、前に住んでたことがある国分寺(こくぶんじ)も、すごくいい響きだと思うけど、句切りどころひとつで金太郎の顔にヒゲが生えちゃうみたいなことになるから、それはそれでおもしろいからいいんだけど、仲御徒町くらい気持ちがいい駅名は、探したところでひとつも見つからなかった。
それは風呂上がり、息子が不意に発した東京メトロの駅名で、俺は御徒町っていう駅があるのは知ってたけど、仲御徒町っていう駅があるのは知らなかったから、きっとそのせいでもあるんだろうけど、仲御徒町っていう響きには、どこで句切って読んでも気持ちがいいっていう、ある種の金太郎飴的要素を持ち合わせてるんじゃないかということに思い至った。
なっかおかちまち、なか・おかちまち、なかお・かちまち、なかおか・ちまち、なかおかち・まち、なかおかちまっち。といった具合に。
東京にはたくさん駅があって、なんとなく響きが好きな駅名って結構あるけど、例えば、前に住んでたことがある国分寺(こくぶんじ)も、すごくいい響きだと思うけど、句切りどころひとつで金太郎の顔にヒゲが生えちゃうみたいなことになるから、それはそれでおもしろいからいいんだけど、仲御徒町くらい気持ちがいい駅名は、探したところでひとつも見つからなかった。
MIRAI〜アイドル襲来と滅亡の先に待つクリスを継ぐ者達〜
2015年10月1日 ラクガキ
街に出れば低空を超小型無人偵察機が飛び交い、心を読み取る装置『わかるんです』の普及により言語的コミュニケーションは事実上崩壊。119歳のボクシング世界チャンピオンが誕生し、サイボーグが人権を主張してワレワレヲ差別スルナみたいになるけどギリギリで和解。更には動植物激減。なぜか昆虫激増。非人道的食料危機政策実施。火星移住計画『SUMARS』の失敗等を経て、遂に、地球外アイドル生命体『ONONONOKA』が襲来。その僅か2分後、シェルター内における『チーム・バタンQ』の壊滅と共に人類は滅亡。しかし、朦朧とする意識の中、チーム・バタンQの一員であり、かぼちゃ料理専門店『パンプキン・カンプキン』総料理長としての顔も持つ『クリス・ムラマツ』の決断により、人類は人間ではない別の生命体へと変化を遂げた。それは、決して滅びることを許されない存在。そう、それが私たち、カッパです。さあ、参りましょう。長老が皿を熱くしてお待ちです。
平均台から落っこちないように、足もとばかり気にして、それにしちゃよく落っこちて、それは地面に足をついたということになるので、また戻ってやり直して、泣きべそかいて、みんなに笑われて、いじめられたような気分になって、だけど、顔を上げて、みんなの顔をよく見てみたら、何だか嬉しそうだったので、別にいいかって思ったら、僕は自分のことが好きになってしまいました。
こんな日記、小学生の頃の俺にパクらせておけばいいんだよな。
こんな日記、小学生の頃の俺にパクらせておけばいいんだよな。
そろそろ本気出してみるか
2015年9月24日 ラクガキ急げと言われた気がして急いだカタツムリたち
2015年9月23日 ラクガキ
急げと言われた気がして急いだカタツムリたちはの、本当は急ぎたくなんかのうて、ゆっくりしときたかったんじゃ。だけんど、仲間のカタツムリたちが急いでおるし、自分も急がんと大変なことになるやもしれん。カタツムリたちは、みんながみんな、そう思っとったんじゃ。追い立てられるように地を這っておるうちに、競争意識が芽生えての、そりゃあ危機感を抱えて必死じゃった。
「カタツムリだってたまには苦しめばいいわよ!」
んまあ、色んな困難があったんじゃが、取り分け炎天下の鉄板は大層熱くての、泣きながら這っとるカタツムリたちもおったくらいじゃ。他の虫たちはカタツムリたちの大移動を、そりゃあそりゃあ不思議に思って見とったんじゃ。そんなに急いでどこ行くんじゃとな。するとの、1匹のアリがこう言ったんじゃ。のうのう、カタツムリさんたちよ。らしくないアリよ。そんなにオリオリオリお。ヤリヤリヤリや。最後の方は、何を言っておるのかさっぱりわからんかったカタツムリたちじゃったがの、しばらくして、ピタッと足を止めるカタツムリたちもおってな、
「死んだの?」
そうじゃねえ。ただ、アリの言ったことがずっと気になっとったんじゃろ。それがヒントんなって、こんならもん自分たちらしくねえと気が付いたんじゃ。
「なんだ。死んだのかと思ったわ。」
そろそろ時間じゃ。お話はこのくらいにして、メシにしようかの。ところでお嬢ちゃんは、エスカルゴは好きかね?
「何なのそれ?」
「カタツムリだってたまには苦しめばいいわよ!」
んまあ、色んな困難があったんじゃが、取り分け炎天下の鉄板は大層熱くての、泣きながら這っとるカタツムリたちもおったくらいじゃ。他の虫たちはカタツムリたちの大移動を、そりゃあそりゃあ不思議に思って見とったんじゃ。そんなに急いでどこ行くんじゃとな。するとの、1匹のアリがこう言ったんじゃ。のうのう、カタツムリさんたちよ。らしくないアリよ。そんなにオリオリオリお。ヤリヤリヤリや。最後の方は、何を言っておるのかさっぱりわからんかったカタツムリたちじゃったがの、しばらくして、ピタッと足を止めるカタツムリたちもおってな、
「死んだの?」
そうじゃねえ。ただ、アリの言ったことがずっと気になっとったんじゃろ。それがヒントんなって、こんならもん自分たちらしくねえと気が付いたんじゃ。
「なんだ。死んだのかと思ったわ。」
そろそろ時間じゃ。お話はこのくらいにして、メシにしようかの。ところでお嬢ちゃんは、エスカルゴは好きかね?
「何なのそれ?」
部屋で絵を描いてたら、突然警察官が入って来た。いきなりぎこちない手つきで手錠をかけてきて、仕方がないからかけやすいように両手を差し出してやると、プラスチックの青い手錠に手首を拘束された。
「何にも悪いことしてないだろ。助けてくれよ」
そう言うと、
「わかった。俺が助けてやる」
拍子抜けするほどあっさり手錠を外してくれた。慌てん坊だなあ。
ほっとしたのも束の間、
「逮捕してやるぜ」
その後も度々警察官はやって来て、片方の手首にかけた手錠を三輪車に繋ごうとしたり、バカちんだからだろ。そんな無茶苦茶な理由で逮捕しようとしてきたり、挙げ句の果ては拳銃を持ち出す始末。治安を守るための警察官じゃないのか。慌てん坊の警察官の正体は、ただの暴れん坊だった。
「何にも悪いことしてないだろ。助けてくれよ」
そう言うと、
「わかった。俺が助けてやる」
拍子抜けするほどあっさり手錠を外してくれた。慌てん坊だなあ。
ほっとしたのも束の間、
「逮捕してやるぜ」
その後も度々警察官はやって来て、片方の手首にかけた手錠を三輪車に繋ごうとしたり、バカちんだからだろ。そんな無茶苦茶な理由で逮捕しようとしてきたり、挙げ句の果ては拳銃を持ち出す始末。治安を守るための警察官じゃないのか。慌てん坊の警察官の正体は、ただの暴れん坊だった。
なぜか口座に10億円入ってて、どうもトム・クルーズに支払われるはずのギャラが間違えて入金されたとかなんとかで、その日のうちに電話があって、担当者が申し訳なさそうにこう言った。この度は大変ご迷惑をおかけしました。トムサイドからは、これも何かの縁なのでしょうからと、全額そのままお納め頂きたいとの意向を伺っておりますが、いかがいたしましょう。俺は言った。わかりました。全額頂くことにします。それからしばらくは、俺はトム・クルーズのことをトム様と呼ぶかもしれない。とりあえずミッション・インポッシブルは観に行くだろう。それから、おいしいものをいっぱい食べて、帰りはタクシーのシートにふんぞり返り、家に着いても寝る間も惜しんで物件を探したり、Amazonで気になったものを片っ端から注文したりするんだろう。
残高照会すれば、通帳に印字された1,000,000,000を見て、一生遊んで暮らせるとか思ってワクワクするかもしれない。心配事がなくなって、安心感で満たされるかもしれない。憂鬱なんか吹き飛んじゃって、常にハイテンションでいられるかもしれない。でも、10億円なんてなくったって、この家にはもうそんな状態の奴がいる。食べ散らかして、脱ぎ散らかして、布団に蝉の羽をばらまき、洗面所の床を水浸しにし、それでも許され、何をしたって愛されてる。あいつは10億円なんてなくったって、桁外れのワクワクと安心感とハイテンションを手に入れてる。同時に失敗もしてる。素っ気ない態度で邪魔者扱いされたり、怒られたりもしてる。あいつを見てると、10億円で俺が得られると思っていたものは、幻想なんじゃないかと思わされる。もしかしたら、俺が欲しかったのは10億円じゃなくて、失敗しても非難を浴びても決して折れることのない、しなやかさみたいなものだったのかもしれない。あいつは今日も、おちんちん、おちんちん、ちちんちーんなんて歌いながら、ケラケラ笑ってる。転んでもすかさず立ち上がり、また走り出す。静かだなあと思えば、だいたい眠ってる。落ち込む前にちゃんと怒るし泣きわめくし、謝ることはあったって、反省なんかしない。俺から見たら、すげえしなやかに生きてる。
10億円あったら、俺は絵を描いてるだろうか。実は、それを確かめたくて書き始めたみたいなところがあったけど、今はまだ、わからなくてもいいか。そう思った。
残高照会すれば、通帳に印字された1,000,000,000を見て、一生遊んで暮らせるとか思ってワクワクするかもしれない。心配事がなくなって、安心感で満たされるかもしれない。憂鬱なんか吹き飛んじゃって、常にハイテンションでいられるかもしれない。でも、10億円なんてなくったって、この家にはもうそんな状態の奴がいる。食べ散らかして、脱ぎ散らかして、布団に蝉の羽をばらまき、洗面所の床を水浸しにし、それでも許され、何をしたって愛されてる。あいつは10億円なんてなくったって、桁外れのワクワクと安心感とハイテンションを手に入れてる。同時に失敗もしてる。素っ気ない態度で邪魔者扱いされたり、怒られたりもしてる。あいつを見てると、10億円で俺が得られると思っていたものは、幻想なんじゃないかと思わされる。もしかしたら、俺が欲しかったのは10億円じゃなくて、失敗しても非難を浴びても決して折れることのない、しなやかさみたいなものだったのかもしれない。あいつは今日も、おちんちん、おちんちん、ちちんちーんなんて歌いながら、ケラケラ笑ってる。転んでもすかさず立ち上がり、また走り出す。静かだなあと思えば、だいたい眠ってる。落ち込む前にちゃんと怒るし泣きわめくし、謝ることはあったって、反省なんかしない。俺から見たら、すげえしなやかに生きてる。
10億円あったら、俺は絵を描いてるだろうか。実は、それを確かめたくて書き始めたみたいなところがあったけど、今はまだ、わからなくてもいいか。そう思った。
死に際に誰といたいか考えてみた。
そんなことを考えちゃうような映画だった。
俺には、オムライスが食べたいと言ったら、オムライスを作ってくれる人がいる。
でもその人は、俺にいて欲しいとは思わないみたいで、なんて言うか・・・
秋ですね。
そんなことを考えちゃうような映画だった。
俺には、オムライスが食べたいと言ったら、オムライスを作ってくれる人がいる。
でもその人は、俺にいて欲しいとは思わないみたいで、なんて言うか・・・
秋ですね。
お腹がいっぱいで苦しい。スパゲティーを食べ過ぎた。こうなることはわかってて。
傘を差すのが嫌いで、雨に濡れるのも嫌。アスファルトの水たまりも、パチンコ屋の看板も大嫌い。こんな日に限って、エレベーターは点検中。それでも私は会いに行く。そんなあいつに会いに行く。
「鍵開いてるから入ってー」
トイレにでもいるのか。大きな声であいつが呼ぶ。
傘を差すのが嫌いで、雨に濡れるのも嫌。アスファルトの水たまりも、パチンコ屋の看板も大嫌い。こんな日に限って、エレベーターは点検中。それでも私は会いに行く。そんなあいつに会いに行く。
「鍵開いてるから入ってー」
トイレにでもいるのか。大きな声であいつが呼ぶ。
中野ブロードウェイでやってる寺田克也個展とライブドローイングを見てきた。初めて見る本物の寺田克也におおってなって、ライブ中はマッキーの先っちょに食い入った。そこにいた誰もがひとりの絵描きに目を奪われてて、あの空間には空気じゃないもっと何か別の物が充満してたような気がする。それはやっぱり一発描きがそうさせるのかもしれない。隣にいた二十歳くらいの女の子たちは声を揃えてこんなふうに言ってた。
ヤバい。
まだ寺田克也という名前も知らない頃、ゲームソフトのパッケージの絵を見た時、俺はちょっと恐くて気持ちが悪かった。細かいし暗いし不快に感じた。子供の頃の俺が好きだったのは、SDガンダムカードダスなんかの、切れ目のないはっきりした輪郭線で描かれた統一感のある絵や、ドルアーガの塔のボードゲームや鳥山明みたいな愛嬌のある明るい絵が好きだった。だから、JOJOなんかも初めは嫌いだったし、というかホント気持ち悪かったし、でも、それが次第に大好きに変わるんだから、好き嫌いは分からないものだと思う。嫌いから始まった好きはなかなか飽きないもので、このおふたりの描く絵には、だいぶ影響を受けたんだと思う。
青山でやってた個展を見に行った時は、原画とカラーの両方だったけど、今回は全部モノクロで、大きめのサイズばかり。黒い線で描かれた鳥や魚が、白い紙の中でひしめき合ってた。15日まで。
ヤバい。
まだ寺田克也という名前も知らない頃、ゲームソフトのパッケージの絵を見た時、俺はちょっと恐くて気持ちが悪かった。細かいし暗いし不快に感じた。子供の頃の俺が好きだったのは、SDガンダムカードダスなんかの、切れ目のないはっきりした輪郭線で描かれた統一感のある絵や、ドルアーガの塔のボードゲームや鳥山明みたいな愛嬌のある明るい絵が好きだった。だから、JOJOなんかも初めは嫌いだったし、というかホント気持ち悪かったし、でも、それが次第に大好きに変わるんだから、好き嫌いは分からないものだと思う。嫌いから始まった好きはなかなか飽きないもので、このおふたりの描く絵には、だいぶ影響を受けたんだと思う。
青山でやってた個展を見に行った時は、原画とカラーの両方だったけど、今回は全部モノクロで、大きめのサイズばかり。黒い線で描かれた鳥や魚が、白い紙の中でひしめき合ってた。15日まで。
死んだ蝉の羽が布団の上にばらまかれるという事件が起きた。容疑者は言うまでもなく息子(3)だが、住居への持ち込みを許した妻の過失は否めないところだ。幸い死傷者は出ておらず、現場付近にもこれといった損傷は見られなかった。しかし、こうした家庭内で起こる惨事は後を絶たず、今後更なる警戒が必要だと言えよう。
お母さんを幸せにしたくて
2015年8月29日 ラクガキ
息子が、妻のお腹の中にいた時のことを教えてくれて、温かかったとか、骨があったとか、おへそをぐりぐりしたとか、何かにぶら下がってポチャンって落ちたとか。面白かったのは、かっこいいオモチャが欲しかったらしい。お腹の中で遊びたかったなんて、外にいる俺は考えもしなかった。それは今の気持ちじゃないのかい。とも思ったけど。
以前、お腹の中に入る前のことを訊いた時には、お母さん可愛いから、お母さんの子供になりたいと思ってお腹に入ったんだ、と話してくれたことがある。聞けば人は、お母さんを自ら選び、お母さんを幸せにしたくて生まれてくるという。それが本当なら、38年前、俺もお母さんを幸せにしたくて生まれてきたことになる。この人を笑顔でいっぱいにするために。
小さい頃は飛び回るように生きてた。何をしたくて生まれてきたかなんてことはすっかり忘れて、俺はすくすく育ってた。だけど、母は何だか詰まらなそうで、楽しそうには見えなかったし、いつもちょっと怖かった。なんでだろうと思ったはずだ。子供ながらに、どうしたら母の笑顔が見られるか考えたり、お母さんを助けたい。そんなふうに思ったと思う。心配かけちゃいけない。困らせちゃいけない。だから、俺はあまり泣かない子供だったと思う。強がりで、嫌なことがあっても話さなかったと思う。だけど、毎晩のようにオネショしちゃうし、困った子だねと呆れられるしで、俺の目に映る母の顔は、相変わらず不機嫌なままだった。思い出すことは難しいけど、悲しかったんだと思う。
そんな気持ちのまま、あたりまえのように自分を責め続けているうちに、お母さんを幸せにできない無力感でいっぱいになっちゃったんだと思う。俺は、お母さんを幸せにすることを諦めた。それから、大嫌いになって、いつの頃からか、母の顔をまともに見れなくなり、その後のことは、目で確かめることができない分、悪い妄想をより膨らませて、心や体はセンサーみたいに過敏になって、誰といたって身構える。そういう暗さを手にしていった。不思議なことに、不思議なことじゃないかもしれないけど、大嫌いになると、母が楽しそうにしてた。そう見えた。そう見えたのが嫌だった。俺はこんなに苦しんでるのにとも思った。だから今度は、母の不幸を願うようになった。母の不幸を願うということは、本当はまだ諦めてなかったんだな。お母さんを幸せにすることを。
どういうことかと言うと、俺がお母さんを幸せにするためには、お母さんが不幸じゃなきゃいけなかった。俺が幸せにするんだから、一旦不幸になって欲しかった。俺がヒーローになって大活躍するためには、お母さんが困ってなきゃいけなかった。お母さんが幸せだったら、お母さんを幸せにするために生まれて来た俺の立場がないから、それは何とも都合が悪いから、俺の目に映る母は幸せそうじゃなかったということ。
小さい頃、母はいつも不幸に見えた。それは、お母さんを幸せにするチャンスだった。でも、できなかった。こんなに可愛い息子なのに、何がいけないんだろう。いけない所を探しているうちに、自分を責めて自信をなくした。こうなったのは母のせい。被害者になることで自分を守ろうとした。そしたら加害者が笑ってた。いちばん見たかった人の笑顔のはずが、全然嬉しくなかった。逆に、困った顔を見るのはすごく好きだった。今になって振り返ると、だいたいこんな感じに年を重ねてきたんだと思う。
ところが、実は母は幸せだった。大変なこともあったけど、私は幸せだったよ。いつか母は電話でそう話してくれた。全然幸せそうに見えなかったのに。俺は今でも勘違いしてたなんて上手くは思えない。愛してるでねえ。あたりまえじゃん。その声は遠く離れた場所からだったけど、空に飛び交う電波の中を泳いでやって来て、俺は少しだけ目を閉じて、か細くおおなんて言ってそれに答えた。
人は、お母さんを幸せにしたくて生まれてきた。でも、お母さんを幸せにすることはできないのかな。そんな力はもってないんじゃないかな。生まれたことでお母さんを幸せにしたとも考えられるけど、やっぱり生まれる前から幸せだったんだろうな。だったらいっそ、誰かの幸せを願う時、その誰かはもう幸せってことでいいのかな。その人がどんなに幸せそうには見えなくても。それならきっと、自分のことにしたって同じで、俺はもう幸せってことでいいんじゃないかな。幸せになりたいと思った瞬間、今は幸せじゃないということにしてる訳だから。
こんな生活は幸せじゃない。まだまだこれくらいじゃ幸せなんて呼びたくない。それは、幸せになりたいと思いたいから。俺は幸せ。でも、お金があったらもっと幸せ。これだって、もっともっと幸せになりたいと思いたがってる。幸せになりたいと思い続けていたいから、後はあれさえあったらって、次から次へと欲しがり続けるのかもしれないな。幸せにするためにとか、幸せになるためにとか、そういう生き方は、幸せを感じたままじゃできない生き方なのかもしれないな。
とは言え、あんまり自分ひとりで考えすぎると、幸せになりたい人は不幸でいたい人で、不幸になりたい人は幸せでいたい人でみたいな、もう訳のわからない領域に入って行っちゃいそうになるし、もう幸せ幸せ書き過ぎて気持ち悪くなったし、自分は幸せだということにしてみても、幸せじゃないということにしてみても、そんなのどっちだっていいし、幸せなんて感じなきゃ感じないでいいんだろうとも思う。
ただ、息子たちも、妻を幸せにしたくて生まれて来たんなら、その気持ちは尊重してあげたいと思う。息子はヒーローものが好きだから、この世界には悪者なんていないと知ったらどうするかな。出番がなくてウズウズするかもなあ。
お母さんを幸せにしたかったなんて、そんなこと思う必要なかったのに。というより、そんなことを思ってたのか、俺は。勝手にひとりで、できるはずのないことをできないと言って、自分や親を責めてたなんて。健気というか、傲慢というか、おっちょこちょいで人騒がせで、バカで可愛い迷惑な奴だったんだなあ。
ところで、俺は母にクソババアと言ったことがない。おばあちゃんには言ったことがある。小学3、4年の頃だったと思う。その時母に、おばあちゃん悲しかったと思うよ。もう言わないであげてね。後でおばあちゃんに謝っときなね。そう優しく諭されて、もう言うことはないと決めた。今にして思えば、クソババアは自立の準備に有効な言葉だったのに、母の言葉を受け入れて、感情に蓋をするようなことを、し続けていくことを、あの時俺は決心しちゃったんだな。だから、あの時俺がとったら良かった言動第一位は、母を信頼して、黙れクソババア。いちいち口出すな。この不幸女。これくらい言えてたら、心はもっと穏やかでいられたかな。笑いたい時くらい、顔色を伺ったりなんかしないで、笑っていられたかな。何だか、懐かしい姿が目に浮かんで、怒ってたのに、クソババアと言われてちょっと嬉しそうに見えた祖母の口元や、クソババアと言った後、不思議ととてもいい気分だったことを思い出す。
最後に、母は幸せだったかもしれないけど、俺自身は幸せだったかというと、幸せだったよ。お母さん。
以前、お腹の中に入る前のことを訊いた時には、お母さん可愛いから、お母さんの子供になりたいと思ってお腹に入ったんだ、と話してくれたことがある。聞けば人は、お母さんを自ら選び、お母さんを幸せにしたくて生まれてくるという。それが本当なら、38年前、俺もお母さんを幸せにしたくて生まれてきたことになる。この人を笑顔でいっぱいにするために。
小さい頃は飛び回るように生きてた。何をしたくて生まれてきたかなんてことはすっかり忘れて、俺はすくすく育ってた。だけど、母は何だか詰まらなそうで、楽しそうには見えなかったし、いつもちょっと怖かった。なんでだろうと思ったはずだ。子供ながらに、どうしたら母の笑顔が見られるか考えたり、お母さんを助けたい。そんなふうに思ったと思う。心配かけちゃいけない。困らせちゃいけない。だから、俺はあまり泣かない子供だったと思う。強がりで、嫌なことがあっても話さなかったと思う。だけど、毎晩のようにオネショしちゃうし、困った子だねと呆れられるしで、俺の目に映る母の顔は、相変わらず不機嫌なままだった。思い出すことは難しいけど、悲しかったんだと思う。
そんな気持ちのまま、あたりまえのように自分を責め続けているうちに、お母さんを幸せにできない無力感でいっぱいになっちゃったんだと思う。俺は、お母さんを幸せにすることを諦めた。それから、大嫌いになって、いつの頃からか、母の顔をまともに見れなくなり、その後のことは、目で確かめることができない分、悪い妄想をより膨らませて、心や体はセンサーみたいに過敏になって、誰といたって身構える。そういう暗さを手にしていった。不思議なことに、不思議なことじゃないかもしれないけど、大嫌いになると、母が楽しそうにしてた。そう見えた。そう見えたのが嫌だった。俺はこんなに苦しんでるのにとも思った。だから今度は、母の不幸を願うようになった。母の不幸を願うということは、本当はまだ諦めてなかったんだな。お母さんを幸せにすることを。
どういうことかと言うと、俺がお母さんを幸せにするためには、お母さんが不幸じゃなきゃいけなかった。俺が幸せにするんだから、一旦不幸になって欲しかった。俺がヒーローになって大活躍するためには、お母さんが困ってなきゃいけなかった。お母さんが幸せだったら、お母さんを幸せにするために生まれて来た俺の立場がないから、それは何とも都合が悪いから、俺の目に映る母は幸せそうじゃなかったということ。
小さい頃、母はいつも不幸に見えた。それは、お母さんを幸せにするチャンスだった。でも、できなかった。こんなに可愛い息子なのに、何がいけないんだろう。いけない所を探しているうちに、自分を責めて自信をなくした。こうなったのは母のせい。被害者になることで自分を守ろうとした。そしたら加害者が笑ってた。いちばん見たかった人の笑顔のはずが、全然嬉しくなかった。逆に、困った顔を見るのはすごく好きだった。今になって振り返ると、だいたいこんな感じに年を重ねてきたんだと思う。
ところが、実は母は幸せだった。大変なこともあったけど、私は幸せだったよ。いつか母は電話でそう話してくれた。全然幸せそうに見えなかったのに。俺は今でも勘違いしてたなんて上手くは思えない。愛してるでねえ。あたりまえじゃん。その声は遠く離れた場所からだったけど、空に飛び交う電波の中を泳いでやって来て、俺は少しだけ目を閉じて、か細くおおなんて言ってそれに答えた。
人は、お母さんを幸せにしたくて生まれてきた。でも、お母さんを幸せにすることはできないのかな。そんな力はもってないんじゃないかな。生まれたことでお母さんを幸せにしたとも考えられるけど、やっぱり生まれる前から幸せだったんだろうな。だったらいっそ、誰かの幸せを願う時、その誰かはもう幸せってことでいいのかな。その人がどんなに幸せそうには見えなくても。それならきっと、自分のことにしたって同じで、俺はもう幸せってことでいいんじゃないかな。幸せになりたいと思った瞬間、今は幸せじゃないということにしてる訳だから。
こんな生活は幸せじゃない。まだまだこれくらいじゃ幸せなんて呼びたくない。それは、幸せになりたいと思いたいから。俺は幸せ。でも、お金があったらもっと幸せ。これだって、もっともっと幸せになりたいと思いたがってる。幸せになりたいと思い続けていたいから、後はあれさえあったらって、次から次へと欲しがり続けるのかもしれないな。幸せにするためにとか、幸せになるためにとか、そういう生き方は、幸せを感じたままじゃできない生き方なのかもしれないな。
とは言え、あんまり自分ひとりで考えすぎると、幸せになりたい人は不幸でいたい人で、不幸になりたい人は幸せでいたい人でみたいな、もう訳のわからない領域に入って行っちゃいそうになるし、もう幸せ幸せ書き過ぎて気持ち悪くなったし、自分は幸せだということにしてみても、幸せじゃないということにしてみても、そんなのどっちだっていいし、幸せなんて感じなきゃ感じないでいいんだろうとも思う。
ただ、息子たちも、妻を幸せにしたくて生まれて来たんなら、その気持ちは尊重してあげたいと思う。息子はヒーローものが好きだから、この世界には悪者なんていないと知ったらどうするかな。出番がなくてウズウズするかもなあ。
お母さんを幸せにしたかったなんて、そんなこと思う必要なかったのに。というより、そんなことを思ってたのか、俺は。勝手にひとりで、できるはずのないことをできないと言って、自分や親を責めてたなんて。健気というか、傲慢というか、おっちょこちょいで人騒がせで、バカで可愛い迷惑な奴だったんだなあ。
ところで、俺は母にクソババアと言ったことがない。おばあちゃんには言ったことがある。小学3、4年の頃だったと思う。その時母に、おばあちゃん悲しかったと思うよ。もう言わないであげてね。後でおばあちゃんに謝っときなね。そう優しく諭されて、もう言うことはないと決めた。今にして思えば、クソババアは自立の準備に有効な言葉だったのに、母の言葉を受け入れて、感情に蓋をするようなことを、し続けていくことを、あの時俺は決心しちゃったんだな。だから、あの時俺がとったら良かった言動第一位は、母を信頼して、黙れクソババア。いちいち口出すな。この不幸女。これくらい言えてたら、心はもっと穏やかでいられたかな。笑いたい時くらい、顔色を伺ったりなんかしないで、笑っていられたかな。何だか、懐かしい姿が目に浮かんで、怒ってたのに、クソババアと言われてちょっと嬉しそうに見えた祖母の口元や、クソババアと言った後、不思議ととてもいい気分だったことを思い出す。
最後に、母は幸せだったかもしれないけど、俺自身は幸せだったかというと、幸せだったよ。お母さん。
どろんこバスに乗ってかけだ空港へ出掛けた。どろんこと聞いて汚れるんじゃないかと心配したけど大丈夫だった。ライオンやトラも乗ってくると聞いてたけど、今回は乗ってこなかった。どろんこバスには5センチあれば誰でも乗れるらしい。でも、キリンは首が長いから乗れないらしい。実は2階建てバスだったらしい。
しばらく走った後、無事かけだ空港に着いた。そして、レストランに入って、みんなで納豆オムレツを食べた。
しばらく走った後、無事かけだ空港に着いた。そして、レストランに入って、みんなで納豆オムレツを食べた。
俺が女を見てる。女も俺を見る。俺は目を背ける。俺は溜め息を吐く。
女が俺を見てる。俺も女を見る。俺は目を背ける。俺は溜め息を吐く。
俺が女を見てる。女は俺を見ない。俺は目を背ける。俺は溜め息を吐く。
女が俺を見ない。俺も女を見ない。俺は目を瞑る。俺は溜め息を吐く。
女が俺を見てる。俺も女を見る。俺は目を背ける。俺は溜め息を吐く。
俺が女を見てる。女は俺を見ない。俺は目を背ける。俺は溜め息を吐く。
女が俺を見ない。俺も女を見ない。俺は目を瞑る。俺は溜め息を吐く。